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9月16日に起きた、埼玉県・熊谷市で起きた殺人事件。静かな住宅地で起きた突然の惨劇の容疑者がペルー国籍だったことは、人々にさらなる衝撃を与えた。同じ県内で活動を行う埼玉県ペルー友好協会の事務局長に、事件後増えた協会への意見や問い合わせなどについて話を聞いた。

 

そもそも埼玉県ペルー友好協会とはどのような団体なのか?同協会の副会長であり事務局長を務める松本弘二郎氏に尋ねた。

「埼玉県ペルー友好協会は、日本文化をペルーに紹介すると同時に、ペルーの文化や歴史を埼玉県のみなさんに知ってもらうための友好活動をする団体です」と松本氏。

聞いてみると、埼玉県とペルーは、想像以上につながりが深いようだ。

「埼玉県は、2000年頃までペルーと深い交流がありました。深谷市、入間市、久喜市などでは、当地で働くのペルー出身の方が多くいらしたり、初めて日系人の大統領が誕生したこともあって、ペルーとの深い交流が生まれるきっかけになりました。90年代にペルーでは、大洪水が起こり、その被災者の方たちに支援物資や寄付を埼玉県から送ったり、救急車を送るなど民間も協力して行っていました」しかし、残念なことに、その交流もいつしか活動が途絶えてしまったという。

「私自身が、その当時埼玉県内の実業家と共にペルーへと出向き、支援のお手伝いもしていたので、いつかはまたペルーとの交流をと願っていました。そこで昨年ちょうどいろいろな機が熟したことで、県内の企業家の皆さんにも声をかけて、協会を設立する運びになりました」

今回の事件後、協会に対してずいぶんと心ない電話での攻撃もあったと聞くが、実際にはどうだったのか?松本氏はそのときのことを次のように語る。

「容疑者がペルー国籍であったこと、被害者には幼いお子さんたちがいたことなどで、その怒りが当方にむいたのだと思います。事件の後は、電話が鳴りやまないほどだったのは事実ですね。ただ私たちが忘れてはならないのは、ペルーという国が容疑者になったのではなく、個人が容疑者になっているということです。やりきれなさから、ペルー出身の方やペルーについて攻撃するのは、違うと思います」

協会としての役割については、どのように考えているのだろうか。それについて尋ねてみると、やはり友好協会としての役割の重要性に行き着くようだ。

「個人的な意見でもありますが、ペルーに行くと感じるのは、日本文化への強い関心と日本語を勉強したいという人たちの声です。ある程度日本のことを勉強してきたとしても、実際の生活は違い、社会に溶け込むのが難しいといいます。そうしたギャップをフォローできるような役割を協会が担っていくとすると、それはやはりお互いの文化を知る。友好を深めるということにつながるでしょう」

 

1985年のプラザ合意以降、国内は急速な円高が進み、日本はこれまでにないほど外国人労働者が急増した。政府は入管法を改正し、日系人労働者の在留資格を整備し、その結果南米から多くの日系人が日本で働くようになった。埼玉に暮らすペルー人の多くもその流れをくみ、今回のナカダ容疑者もこうした「出稼ぎ」として、10年日本で働いていた。

日本で働いてはいても、日本に溶け込めないでいるペルー人は、多くいるではないかというのは、これまでにも多方面から指摘されてきた。

「やはり最終的には、人と人、心と心のつながりだと思います。私がペルーとのかかわりを持ち、渡秘も10数回を超えますが、ペルーの人たちは本当に温かい人柄で、仲良くなると家族のように接してくれます。そして、日本に対する信頼、日本というブランドへのあこがれは本当に強い。そういう方たちのためにも、橋渡しの文化交流を友好協会が続けていくことだと考えています」と松本氏は話す。

最後にこのような経験を松本氏は教えてくれた。ペルーに行き日本のことを尋ねると、東京や京都、横浜という地名は出ても、埼玉県と聞くことが少ないという。しかし埼玉県にある企業の名前を伝えると、「知っている」という声が多くなる。埼玉県ペルー友好協会が人と人との結びつきを進めて行くことで、埼玉県で仕事を学び、いずれはペルーと埼玉県とのビジネスコラボレーションに発展していくことも考えられるそうだ。

南米の中で、日本がルーツだという人たちが2番目に多いのがペルー。日本とペルー、埼玉県とペルー。その点をつなげていくのが、埼玉県ペルー友好協会の役割だと松本氏は言う。そして、

今後事件の解明に向けて、当局が動いていくが、人々の心に残ったしこりをそのままにしないこと、それを見落とさないようにしたいと語った。

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