ペルーを貧困地区の子供を支援する、ムエタイの志朗選手判定負けに

2月28日、タイ・バンコクのポーンプラープ区にある、ラジャダムナン・スタジアムで行われたムエタイ・バンタム級に出場した志朗選手、タイ人のGON選手との戦いは判定負けだった。

ラジャダムナン・スタジアムは、試合開始から観客の期待と興奮がうずまいていた。新人戦やまだキャリアの短い選手が多く出る週末興行に比べて、平日に開催される平日興行は、出場する選手たちのファイトマネーが格段に違う。つまり、それだけ取れる実力のある選手だけが出場できるのだ。15歳からタイでムエタイ修行をしてきた志朗選手が、目標にしてきたのがこのラジャダムナン・スタジアムで行われる平日興行にでることだった。

試合前に、新聞で志朗が取り上げられていたこともあり、志朗選手が出場すると、会場から「志朗!志朗!」と声援が沸き起こった。今回の試合は、最後まで互角の勝負だったといってもおかしくない。それだけ試合は白熱しており、5R目のラスト30秒までは、志朗選手が優勢に思えた。

しかし、GON選手もハイテクニックの選手だ。スタミナのある戦いぶりと、首相撲の崩しがうまい。志朗選手は腰を掴まえて、GON選手を倒す作戦に出たが、倒せず判定で負けてしまったのだった。

試合終了後、志朗選手は「ムエタイは難しい。しかし、相手のレベルが自分とさほど変わらないというのを知れた試合だった」と語っている。

対して、GON選手は、所属ジムの会長からひどく怒られて、激しく泣いていた。その理由は、タイ人選手として、日本人相手にひどい試合だったということらしいのだ。

ムエタイは、タイの国技だ。それだけの歴史とタイ人としての矜持が、外国人にギリギリで勝つということが許せないのだ。志朗選手の試合を見ていた

元ルムピニースタジアム(Lumpinee Boxing Stadium)・フェザー級チャンピオンのSirimongkol さんと話をしたところ、「日本人のキックボクサーは、タイにきて試合をしなくなった。平日興行にでることができる強い選手も出なくなった。タイ人を日本に呼んで試合をしても、日本人は強くなれないよ」と言っていた。

今回の試合には、駐タイのペルー大使である、ホルヘ・フアン・カスタニーダ・メンデス大使と、駐日ペルー領事のフリオ・カルデナス領事が、観戦していた。

志朗選手が自分のファイトマネーから、ペルーの貧困地区暮らす子供たちの支援をしてきたこともあり、ムエタイとペルーへのつながりが生まれている。

 

写真提供:シンラパムエタイ

写真下:後ろ左から駐タイ・ペルー大使、駐日ペルー領事 前左:志朗選手

Writer:布施鋼治

1963年7月25日、札幌生まれ。スポーツライター。

大学生時代より執筆業を開始。現在はNumber、共同通信、北海道新聞、ファイト&ライフ、スポルティーバなどに執筆中。
2009年、「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社刊)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。
他の主な著作に「東京12チャンネル運動部の情熱」(集英社刊)、「格闘技絶対王者列伝」(宝島文庫)などがある。
「ファイティングTV サムライ」などで格闘技番組の解説も務める。
写真提供:シンラパムエタイ

 


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