19歳の日本人・タイで賞金総どりマッチに挑んだ <後編>

「お前、イープン(日本人)相手に何恥をさらしているんだよ!」
試合後、控室で勝者のコーン(現地ではゴンとも呼ばれている)・オー・クンナトーンはセコンドから今にも殴られそうな勢いで怒鳴られた。「コーン、なぜ自分の価値を下げるような試合をしたんだ?」


2月28日、バンコクにあるムエタイの聖地ラジャダムナン・スタジアム。日本人選手としては珍しい総額10万バーツ(約31万円)の賞金総取りマッチに挑んだ志朗は判定で敗れた。負けは負けながら、5ラウンド2分30秒過ぎまでどちらが勝つかわからないデットヒートを繰り広げていたことは確かだった。
私の目には3Rは志朗、4Rはコーンがとったように映った。ムエタイの勝負のクライマックスは3~4R。よほど大きなダメージを与えない限り、1~2Rの攻防がポイントとなることはない。
5Rまで勝負がもつれ込んだことで、階上の席を陣取った地元のギャンブラーたちは大喜び。日本でいうと、早朝の卸売市場で飛び交うような怒号と歓声がいくつも重なり合った。そして運命のラストラウンド、コーンが相手のミドルキックを掴んで倒せば、志朗は組み合っての体勢から投げ捨てる。ミドルキックの打ち合いになると、お互い一発でも多く当てようとフェイントのかけ合いになった。
試合終了のゴングが鳴ると、ともに「俺が勝者」とばかりに両手を高々と差し上げた。3名のジャッジからジャッジペーパーを集めたレフェリーはコーンの勝利を支持した。
コーンの勝ちに3万バーツかけていたラジャダムナンのプロモーターのひとりアンモー氏は「もったいない。志朗は勝てる試合を落としてしまった」と激闘を振り返った。
「ラスト30秒というところで、志朗は差し合いにいってしまった。ああいう流れになったら、ムエタイでは首相撲で勝負しないとポイントにはならないんだ」
ムエタイでは豪快なKOより最後の最後までシーソーゲームになるような勝負が好まれる。そういった勝負を制するために、そんな暗黙のルールが潜んでいるのだろうか。
もっとも、激闘を繰り広げたことで、志朗の評価は少なからず上がったのだろう(そうでなければ、冒頭のように相手のセコンドが激昂するわけがない)。3月8日、バンコクから車で片道6時間もかかるチャイヤプーン県で行なわれる大会で試合をすることになった。インターバルはわずか1週間、これも修行のひとつである。

 19歳の日本人・タイで賞金総どりマッチに挑んだ <前編>

 

 

Writer:布施鋼治

1963年7月25日、札幌生まれ。スポーツライター。

大学生時代より執筆業を開始。現在はNumber、共同通信、北海道新聞、ファイト&ライフ、スポルティーバなどに執筆中。
2009年、「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社刊)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。
他の主な著作に「東京12チャンネル運動部の情熱」(集英社刊)、「格闘技絶対王者列伝」(宝島文庫)などがある。
「ファイティングTV サムライ」などで格闘技番組の解説も務める。
写真提供:シンラパムエタイ


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