アンデスの老夫婦が伝える生とは?ペルー映画「アンデス、ふたりぼっち」7月に公開

本作品は、2017年にペルー映画史上初となる全編がアイマラ語という珍しい長編作品だ。

そのためペルー本国でも話題となり、3万人以上の観客を動員した大ヒット作となった。

また、2018年のアカデミー賞や2019年ではゴヤ賞のペルー代表作品に選出され、その他多くの映画祭に出品され国内外でも高い評価を受け、ペルー映画の近年の最高作と評されている。

しかし、本作品が長編初作品となる監督のオスカル・カタコラ氏は、残念なことに2021年11月に待望の長編映画2作品目を撮影中、34歳という若さで突然夭逝してしまった。そのため、この作品が監督初長編作品にして遺作となってしまったのだ。

あらすじは、標高5,000mを超える高地地帯にたった二人でアイマラ文化の伝統的な暮らしをする老夫婦。息子は都会へ出たままもう何年も顔すら見せに帰って来ない中、それでも息子の帰りを信じて二人だけの生活をしている。

作物を作り、日々の糧を母なる大地のパチャママに祈りながらリャマと羊を飼い、細々と毎日を堅実に生きていた。ある日切れてしまったマッチを買いに出かけた夫が途中で倒れてしまい、さらに隙を狙われて飼っていた羊たちや番犬までもがキツネに襲われてしまうという不幸に見舞われる…そして二人に訪れるラストと目を見張ってしまう衝撃のラストシーン…

本作はフィクションストーリーだが、自叙伝的になっている。監督は幼少の一時期を標高4,500mのプーノ地方の高地で父方の祖父母と過ごしていたそうだ。祖父母はスペイン語が話せず、そのため監督は完璧なアイマラ語を話せたという。

アイマラ語はペルーとボリビアの公用語の一つで、アイマラ族が用いている言語だが、アイマラ語しか話せない人が少なくなり、特に都市部ではスペイン語しか話せないという人が増えているという。

本作品の登場人物は老夫婦だけで、二人とも素人で役者ではない。制作する数年前に父方の祖父は亡くなってしまっていたが、老夫婦の夫役を担ったのは同じくアイマラ族の母方の祖父であるビセンテ・カタコラ。妻役は友人が紹介してくれた、アイマラ語は話すが映画を見たことも映画館へ行ったこともなかったというローサ・ニーナである。

妻役のローサ氏のセリフ以外にもたびたび聞こえてくる荒い息づく音が、ここが高地であるということと、高齢者の生活であるという現状をそのたびに感じさせられる。

老夫婦の家から一番そばの村まではかなりの道のりのため、マッチを買いに出かけるのさえ、夫も老いた体で行くのを尻込みするほどだ。「帰ってこれないかもしれない」と呟く夫に「大丈夫だよ」と勇気づける妻。新しいポンチョを編んで欲しいとお願いする夫に「目が悪くなってもう出来ないかもしれない」と呟く妻に「大丈夫だよ」と背中を押す夫。二人しか居ない世界ではお互いだけが頼りだ。これまでも困難を乗り越えてきたであろう夫婦の絆の強さをなにかと見せられ、羨ましくもある。

伝統を大切に守り繋げながら誠実に生きている二人の気高さ。しかし、自然は恵みだけを与えてくれる畏敬の存在ではなく、畏怖する存在でもあるのだ。マッチ=火が無くなるという恐怖は、外と家の境目の入口が布をかけただけという心持たない二人の立場を表しているかのような状況だ。高地の自然は厳しく、家畜を殺して食べてしまうキツネもうろついている(おそらくクルペオギツネだと思われる。アカギツネとコヨーテの中間くらいの大きさで羊などの家畜を襲う害獣とされているそうだ)。

老体での火起こしの大変さ、種火の管理も寝ずの番になる。人間が文明を手に入れることになった火が無いというのは、戦う牙も寒さをしのぐ毛皮も持たず、実はか弱かったという事が丸裸になってしまう。大きな自然にいとも簡単に飲み込まれ、淘汰されてしまいそうになる恐怖が待っているのだ。

これはペルーだけではなく、日本や世界にも通ずる、親子間の問題だけではなく、消えゆくかもしれない伝統や文化に対しての社会への問題提議なのだ。

◆text/illustration:大盛佳代子◆

2017年製作/86分 配給:ブエナワイカ

劇場公開日:2022年7月30日(土)

東京:新宿K‘s cinemaほか全国で順次公開 

日本語字幕の他にスペイン語字幕での上映回も予定しています。

詳細:https://www.buenawayka.info/andes-futari

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