母国で何ひとつ不自由なく育った日本人が タイのスラム街でムエタイを学ぶということ

2月28日、タイの首都バンコクにあるラジャダムナムスタジアムで行なわれるムエタイの定期戦に志朗が出場する。ルンピニースタジアムと並んで、このスタジアムはムエタイの聖地。毎日いずれかのスタジアムで興行が行なわれている。


興行の質はプロモーターや曜日によってまちまち。普通外国人選手は新人戦が行なわれる土曜や日曜の興行に入れられるのが一般的だ。今回の志朗の平日興行出場は、現地のプロモーターに認められている証でもある。
1月19日、日本を旅立った志朗は現地の練習の拠点である96ピーナンジムへ。そしてジムの合宿所で寝泊まりしながら、トレーニングに明け暮れた。お世辞にもピーナンジムは清潔とはいえない環境だ。周囲にはスラム街といっていいほど、粗末な家屋が立ち並ぶ。近くの市場では土地の権利問題に絡んで、ときおり殺傷事件が発生する。
日本にいる時は埼玉県で何ひとつ不自由なく育っただけに、あまりにもギャップがありすぎる環境だ。しかし、気にしているのは周囲であって、志朗自身はほとんど気にしていない。今しかできないことを突き詰めていったら、ムエタイにぶち当たったからだ。
いま、志朗は96ピーナンジムのトレーナーを務めるガイスイットさんから学ぶムエタイの奥義に惚れ込む。環境の善し悪しは二次的な要因にすぎない。人が人を育てるのだ。このジムでの志朗の練習を目の当たりにしたら、そう思わざるをえない。

 

志朗:1993年生まれ 現在19歳

3歳のときより、キックボクシングを始める
15歳 第一回国際ジュニアキックボクシング第1回トーナメントチャンピオン

中学卒業と同時に、大宮の単位制高校に進学と同時に
単身でムエタイ修業のためにタイに渡航。バンコク最大のスラム街 クロントイ地区にあり、バンコクでも、1,2を争うくらい練習の厳しい96ピーナンジムに入門。寮に入り、現役のムエタイ選手と寝食を共にしながら練習に励む。

志朗選手のチケット収益金は、タイのHIV孤児施設やペルーの貧困地区にある保育園の支援に寄付されている。

 

Writer:布施鋼治

1963年7月25日、札幌生まれ。スポーツライター。

大学生時代より執筆業を開始。現在はNumber、共同通信、北海道新聞、ファイト&ライフ、スポルティーバなどに執筆中。
2009年、「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社刊)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。
他の主な著作に「東京12チャンネル運動部の情熱」(集英社刊)、「格闘技絶対王者列伝」(宝島文庫)などがある。
「ファイティングTV サムライ」などで格闘技番組の解説も務める。
写真提供:志朗後援会

 


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